ミゼット(Midget)ハウス
戦後のベビーブームの影響を受け、子供の部屋をつくる発想から生まれたのが、大和ハウス工業のミゼットハウス。意味は、小型の意味でサイズは約3坪(1.5間×2間)で作業員4名程度で約3時間で建てられる商品だったそうです。土台は、コンクリートブロックで軽量鉄骨の柱を建て、ハードボードでつなぐ。屋根は亜鉛引きの鉄板パネルを裏打ちしたハードボードを使用。
当時、なんと2ヵ月で800戸も売り上げたそうです。当時の価格で10.8万。当時の大卒初任給が約1万程度を考慮すると手に届く範囲です。ある意味、建物の商品化の先駆けになった商品かと思います。
開発した大和ハウス工業は、今ではスーパーゼネコンの売り上げを超え大企業に成長しています1955年創業、59年にミゼットハウスを販売。
関連して、当時の住宅事情と建築の歴史も確認してみよう。1958年:一級建築士の試験でお馴染み、菊竹清訓先生のスカイハウス、前川國男先生の晴海高層アパートが誕生しました。そして、翌年の1959年今ではお馴染みメートル法の実施。(尺貫法からの転換)、同年ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館(東京上野)そして、有名な伊勢湾台風があった年でもあります。
この時代は、限られた大きさの中で機能性とシンプルさを追求した住宅が沢山生まれています。そして、有名な建築ムーブメントとしてメタボリズム(新陣代謝)を通して建築新たな考えて方が始まりました。